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中学受験、成功できそうですか?失敗経験をもとに娘と挑む受験旅 シリーズ①

おけいはんおけいはん

いきなりですが、私は中学受験不合格経験者です。合格した人の話は聞くけれど、不合格した人の話ってあまり聞かないと思いませんか?でも、私のように、中学受験に失敗した人は必ずいます。30年も昔のことなので、今の中学受験事情とは異なる点も多いだろうとは思いますが、そんな私が今、娘に自分同様中学受験を経験させようとしています。

なぜ自分は受験に失敗したのか。そして、受験成功に向けて我が子にどういったアプローチをすれば良いと感じているのか、自分の経験と現在の受験事情をもとにお話したいと思います。

私はこのようにして中学受験に失敗しました。

今からちょうど30年前、私は小学6年生で中学受験を控えていました。当時私の通う小学校では、私立中学を目指す子は学年に数人しかおらず、ほとんどの子はそのまま地元の公立中学に進学していました。3人兄弟の末っ子だった私は、学校の活動にも積極的で学級委員などに立候補しちゃう、いわゆる優等生肌。成績もそこそこでした。そんな私に、母親は上2人とは違う景色を見させてあげたかったのでしょう。どこからか情報を得てきて、私に中学受験を薦めたのです。

何にでも好奇心が旺盛で前向き思考の私は、「周りと違った進路もいいな」という軽い気持ちで受験を決め、進学塾に通い始めました。

すごく楽しい塾通い

住んでいた地域に進学塾はなく、電車で数駅の塾に通うことになりました。最寄り駅まで車で送ってもらって電車に乗って通うというルーティンはとても新鮮で、友達と帰りにお菓子を買ったりおにぎりを食べたりしながら、楽しく通っていました。塾に行けばまた別の友達とも出会え、男子達とも軽口を言い合いながら楽しく過ごしていました。

そう、私は勉強以外の塾生活を謳歌してしまったのです。

次第に難しくなっていく勉強内容
習い事もやめて塾一本に

中学受験に関わったことがある方ならお分かりだと思いますが、その学習内容は独特でとても難解です。算数を例に挙げると、有名なところでは、「鶴亀算」や「植木算」などなど。
それは30年後の現在も相変わらずです。当時私が通っていた小学校の授業では教わることのない内容でした。

単元数も多く、次第に理解ができない部分が増えてきました。家で父親に教えてもらってもいまいちしっくりこず、数学が得意な父も「なんでわからんのや」とお手上げ状態。どんどん受験勉強に付いていけなくなっていきました。
学年が上がると塾の曜日も増え、5年生の時、当時習っていたピアノと習字の習い事もやめて、塾一本になりました。

本当は私学になんて行きたくない
本音と向き合おうとしない自分

実のところを話せば、私は私立の中学に行きたいとは思わなくなっていました。当時私の受験圏内地域の私立中学には共学校は少なかったので、私の志望校も女子校でした。上の兄弟2人は地元の公立中学から公立高校に通っていて、学校生活や部活動の話を聞いているととても楽しそうです。

勉強が難しくなってきたのも加勢して、「なんで私だけこんなに勉強をして家から遠い私立の中学、しかも女子校に行かないといけないんだろう」と思うようになりました。当時私には好きな男の子がいて、その子と中学で離れ離れになるのも嫌だったのです。

しかし、親を喜ばせたいという気持ちも働いてか、両親にはひと言も「受験をしたくない」と言えなかったのを覚えています。

塾で知り合った友達と会えるのは楽しかったので、自分は受験をして私立中学に行きたいのかどうか、という、一番肝の部分を置き去りにしたまま塾通いを続けていました。

受験当日の記憶がない!?

そうこうしているうちに時は流れ、いよいよ受験当日がやってきました。
もともと希望していた学校には到底偏差値が及ばず、ランクを下げ、見学にも行ったことのない女子校を受けることになりました。

受験当日、教室の机に向かったところまでは覚えています。でも、次に記憶しているのは、母が運転する帰りの車の中の風景。

試験でどんな問題が出たか、自分の答案はどうだったのか、全く覚えていないのです。具合が悪くなって机に突っ伏していたのかもしれません。本当に記憶がない状態です。

おそらく問題自体全然解けていなかったのではないかと思います。家に帰ると寝込んでしまったようです。

子どもなりの最後のSOS

当時、両親はどんな気持ちでそんな私を見ていたのかはわかりません。合格発表を見に再度受験した学校へ行ったのか、自宅に通知が届いたのかも覚えていませんが、私は見事に不合格通知を受け、そして晴れて地元の公立中学に進学しました。部活動も友達付き合いも(好きな子への恋も)大いに楽しみました。

今思えば、あの受験当日、記憶喪失に近い状態になるほど具合が悪くなったのは、私なりのSOSだったのかもしれません。万が一合格してしまって、行きたくもない中学校へ通うことになったらどうしよう。。と無意識に本気の抵抗をしたのではないかと思うのです。

現状を受け止めて見守ってくれた両親に感謝

両親は、決して安くはない塾代を払い、送迎や夜の食事の準備など完璧にしてくれました。私が親だったら、嫌味の一つ(どころか、幾つもでしょう)も言っていたかもしれません。でも、母からも父からもその類の言葉をかけられたことは一度もありませんでした。受験の話は特に家庭内に話題に上がることはなく、公立中学でお気楽に過ごす私を全面的に受け入れてくれました。両親が私の不出来を受け止め、切り替えてくれ、変わらぬ愛情を私に注いでくれたことに本当に感謝しています。一つだけ両親に忠告することがあるとすれば、「お宅のお嬢さん、塾でもぜんっぜん勉強してませんし、私立中学への進学を全く望んでいませんよ」ということです(笑)。

こうして、私の中学受験は、やや情けない形で幕を閉じました。
シリーズ②では、こんな私が娘の中学受験に向けて、どんな風にアプローチをしていけば良いか、模索中ではありますが、日々考えている内容をお伝えします。

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おけいはん

おけいはん

兵庫県

兵庫県在住。結婚16年目。夫と子ども2人の4人暮らしです。大学時代に熱中したボランティアリーダー活動のおかげで子どもとのふれあいが大好きに。家族遊びは基本アウトドアですが、子ども達が大きくなり多忙な為機会が激減した今は、それぞれの目標に向き合う彼らにベタ褒めしたり叱咤激励しながらファン第一号として寄り添っています。自分がハッピーじゃないと子育ても楽しくできない。がモットーな、「がんばり過ぎない子育て談」を記事にしてお伝えできたらなと思っています。